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福岡高等裁判所 昭和61年(う)237号 判決 1987年8月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

押収してある脇差し一本(原審昭和六〇年押第二一号の1)を没収する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官岡準三が差し出した控訴趣意書(熊本地方検察庁八代支部検察官徳永勝作成名義)及び弁護人山田一喜が差し出した控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

検察官の控訴趣意について。

論旨は、本件公訴事実中、被告人がVを殺害したとの点につき無罪を言い渡した原判決には事実の誤認及び盗犯等の防止及び処分に関する法律(以下、盗犯等防止法という。)の正当防衛の要件についての法令の解釈・適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないというのである。

所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取り調べの結果を参酌して検討するに、《証拠省略》によれば、以下のとおりの事実が認められる。

暴力団A組の若頭相談役である被告人は、昭和六〇年四月二七日午後七時ころから、同組長Aや代貸B(被告人の実兄)らとともに同組員Cの経営する焼肉店開店一周年の祝いで飲酒した後、同日午後九時三〇分ころ熊本県八代市本町所在のキャバレーチュリーに赴き、同店一〇番テーブルで右Aらとともに飲酒していたところ、しばらくして同市内に本拠を有する他の暴力団泉組組員Lが配下のVとともに同店一番テーブルで飲酒しているのに気付いた。そこで被告人は右Lのところに行き、同人に対し、「うちの親分が来とるけん一杯盃を受けてくれんですか。もらわんばわしも邪気が回るけんな。」と右Aの盃を受けるよう申し向けた。そのことで右Lは不快に思ったものの、同所に居合わせたA組行動副隊長Dが被告人の無礼を謝ったこともあって右Aの席に赴き盃を交わした。その間、被告人はVに対し、「いつでも来るなら来い、今日でもよかぞ。」などと言って絡んでいたが、その場は事なく済み、その後、同組員Eに同店を連れ出されて、他のスナックで飲酒した後、翌二八日午前零時四五分ころ同市弥生町所在の甲野ハイツに帰宅して就寝した。一方、Vは、同日午前零時ころ右Lとともに右チェリーを出て、右泉組組員Mらとともにスナック等で飲酒した後、同日午前三時すぎころ同組事務所に戻ったが、先にチェリーで酒に酔った被告人に絡まれ喧嘩を売るようなことを言われたことに憤慨のあまり、長年兄弟分として交際していた前記D方に電話して被告人の居室を聞き出そうとしたところ、右チェリーで被告人が絡んだことに対してVが立腹しているものと思った右Dからなだめられたにもかかわらず憤懣遣る方ないVはこれを聞き入れずに、Mとともに同日午前三時二〇分すぎころタクシーで前記甲野ハイツの被告人方に赴き、その玄関ドアを叩き、更にMとともにこれを蹴ったうえ、「X出て来い。出て来んと嫁ごも子供もどぎゃんなってもしらんぞ。」と怒鳴るなどした。被告人は、右ドアを叩く音などによって目を覚ました妻のH子に起こされたが、右ドアを叩きながら「こらX出て来い。」「泉のVたい。」と怒鳴る声が聞こえたので、暴力団員が押しかけて来ていることは判ったものの、その理由や動機等についてはすぐには思い当らず、突如殴り込みをかけられたものと思い、H子にA組幹部である実兄のB方に電話をかけさせたがつながらなかったために、更に警察へ通報させた。そうしているうちにも、右ドアを叩く音や怒鳴り声が続いていたところ、前記甲野ハイツに居住する暴力団乙山組幹部のSが物音を聞きつけVらを止めに入ったが同人らはこれを聞き入れず、再び「X出て来い、出て来んとけがをしてもどぎゃんなっても知らんぞ。」と怒鳴りながら、その場にあったほうきの柄で前記玄関横の窓ガラスを割り、更に植木鉢を投げつけて被告人方便所のガラス窓等を割ったうえ、同窓から植木鉢を投げ入れ、右玄関ドアを蹴るなどし、そのころ被告人方電気のブレーカーが切れたため被告人方の電灯は消え屋内は暗闇の状態となった。Vらの右言動が約一五ないし二〇分間にわたって続いた後、被告人は長女から模造刀を渡されたが、右ドアが開けられそうな音がしてきたので、右模造刀を脇差しに取り替えて玄関入口から約三・四メートル内側の廊下に立ち、過去の経験から暴力団組員であるVらがドアを打ち破って来れば、いきなり同人らからけん銃か日本刀で殺されるかも知れないのでその前に相手を刺して身を守ろうと考えていたところ、同日午前三時四〇分ころ、右ドアの鍵が壊されVが屋内に入ってきたため、とっさに殺意を生じ機先を制して右手に持った右脇差しで同人の腹部中央付近を目がけて突き出して突き刺し、更に同人の体から脇差しを引き抜くやこれを振りかざしその前額部を切りつけて同人に腹部刺創等の傷害を負わせ、右傷害に基づく左肺せん通等による失血により死亡させた。

ところで所論は、原判決は、本件につき盗犯等防止法一条一項の正当防衛の成立を認めるに当たり、Vが被告人方に侵入した時点における、被告人に対する現在の危険は、客観的にみてたかだか被告人の身体に対するそれにとどまり、生命に対する現在の危険は存在しなかったのに、これが存在すると認定した点において事実を誤認したものであるというのであるが、前記認定のとおり、Vらは暴力団組員であり、同人らが被告人方へ押しかけたのは、チェリーでの被告人の無礼な言動に対し同人が憤慨したためであって、前記DやSらのなだめや説得をも聞き入れなかったことに徴すると、Vの被告人に対する憤りはそれ以前の飲酒の勢いもあってかなり激しかったと思われること、更にVらは二人がかりで深夜被告人方に押しかけ、その際玄関ドアを蹴り、大声で怒鳴りながら便所のガラス窓等を割って植木鉢を便所に投げ入れるなどしたうえ、玄関ドアの鍵を損壊して屋内に侵入するなど執拗かつ粗暴な言動に及んでいることなどを併せ考えると、同人らに被告人に対する明確な殺意はなく、本件当時凶器等を所持していなかったことや被告人方室内は当時電源が切れて暗闇であり外から侵入する場合屋内の模様が判らない状況にあったことなど所論指摘の事情を考慮しても、Vら二人が屋内に侵入して被告人との乱闘になれば、一人でこれに立ち向かう被告人が不利なことは明らかであり被告人の生命、身体に危害の及ぶ可能性は強く、Vが被告人方に侵入した時点において、被告人の身体に対してはもちろん生命に対しても危険が現在していたことは否定できないのであるから原判決に所論の如き事実誤認の違法はなく、この点の論旨は理由がない。

次に所論は、原判決は、盗犯等防止法一条一項は、正当防衛に関する刑法三六条一項の解釈規定にすぎず、刑法の正当防衛の要件を拡大・緩和したものではないのであるから、たとえ明文の規定がなくとも、正当防衛の要件として刑法三六条一項の「己ムコトヲ得サルニ出テタル」と同程度の相当性が必要であると解すべきであるのに、これを要件と認めず、相当性については「法秩序全体に照らしてみて許容されるべきものと認められる場合」であればよいと解釈した点において法令解釈の誤りを犯しており、更に、仮に盗犯等防止法一条一項の正当防衛の要件としての相当性につき、原判決の右のような解釈をとったとしても被告人の本件所為は、同解釈にいう相当性の範囲内の行為とは認められないのに、相当性の範囲内にあると認めた点において、法令適用の誤りを犯しているというので、以下この点につき判断するに、もともと盗犯等防止法一条一項の正当防衛が不処罰となるのは、違法性阻却事由としての本質から考えて殺傷行為に実質的な違法性がないことをその根拠とするものであって、同条項の適用について当該行為が単に形式的に規定上の要件を満たすばかりでは足りないものであることは原判決が「一部無罪の理由三の3の(三)」で説示するとおりであるが、その要件としての相当性の解釈については争いのあるところであって、右相当性を「その行為の際の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、法秩序全体に照らしてみて許容されるべきものと認められる場合」に肯定する原判決の解釈に従っても、本件においては、被告人が前記認定のとおり、機先を制して相手に立ち向かうべく予め脇差しを所持して玄関入口から約三・四メートル内側の廊下に立って待機し、同所において電気が消え暗闇の状態になった屋内に何ら凶器を持たずに素手で侵入して来たVに対し、攻撃する余裕すら与えず、いきなり殺意をもって右脇差しでその腹部中央付近を突き刺し致命傷を与えたばかりでなく、更にその前額部を切りつけて殺害するという行為に及んでいるのであって、相手の侵入前後における双方の位置、態勢や行為態様等の状況に徴すると、その際暴力団組員であるVらが深夜被告人方に押しかけ、前記Sの制止にもかかわらず、玄関ドアを叩いたり蹴ったりしたほか、植木鉢を投げつけて便所のガラス窓を割り、同窓から植木鉢を投げ入れるなどの執拗かつ粗暴な行動に出たことなどを考慮しても、被告人の本件行為は法秩序全体に照らし許容しがたく防衛の程度を超えたものといわざるをえず、右行為が原判決の解する意味においても防衛行為として相当性の範囲内にあるものということはできない。

原判決は、(1)妻に起こされた被告人がチェリーでのいきさつを忘却していたため理由もなくVらに殴り込みをかけられているものと思い、急場を逃れるため妻にB、ついで警察へまで通報させたが、他からの救援もないままに時間が経過するうち、Vらがけん銃又は日本刀を所持しているから、侵入して来た場合には殺害されるものと思い込み本件に及んだこと、(2)被告人方は甲野ハイツの二階であって、玄関ドア以外には出入口はなく、外部へ避難することは困難であること、(3)被告人が待ち構えていた位置と被告人が侵入してきたのを認めたVの位置は約二・七五メートルしか離れておらず、右侵入時には、被告人方の電灯は消えていたため、Vの身体の状況、凶器の有無等がはっきり見えない状態であったことを本件行為に相当性を認める積極的事情とみているのであるが、(1)については、Vが玄関から侵入するまでには前記認定のとおり約二〇分間に及ぶ時間の経過があり、この間にたとえ被告人がチェリーでのいきさつを忘却していたとしてもVに声をかけ何の目的で押しかけたのか確認するぐらいのことは十分に可能であったと思われ、そうしていれば、その応答により同人が押しかけた理由も判ったものと考えられるのであるが、被告人は何らそのような行為に出ることなく、Vらが凶器を持って殴り込みにきているものとの一方的思い込みから本件行為に及んだものであるうえ、(2)についても、前記関係各証拠によれば、被告人方は甲野ハイツの二階にあり、玄関ドア以外には出入口はないのはそのとおりであるが、被告人においてベランダから隣家の屋根に渡るなどして避難することはさして困難とはいえず、(3)につき、前記関係各証拠によれば、本件当時被告人方屋内の電灯は全部消えてはいたものの、被告人方玄関前の通路には常夜灯がついていたので、室内からは屋外から入って来る人物の体格、体型、手足などの動きは良く分かり、手に凶器を所持していれば当然判明したものと思われるのであって、原判決の指摘する前記各事実もさきの結論を左右するに足りない。

以上のとおりであり、被告人の本件行為は、Vによる急迫不正の侵害に対し自己の生命、身体を防衛するためその防衛の程度を超えてなされた過剰防衛にあたるから、右行為について正当防衛の成立を認めた原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よって、弁護人の量刑不当の論旨に対する判断を省略し、原判示罪となるべき事実と原判決が無罪とした殺人の公訴事実とは併合罪の関係にあり、一個の刑をもって処断すべきものであるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決全部を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。

(罪となるべき事実)

原判決の認定した罪となるべき事実に、当審が認定した次の事実を付加する。

被告人は、昭和六〇年四月二八日午前三時四〇分ころ、熊本県八代市弥生町《番地省略》所在の甲野ハイツ二〇三号の自宅において、V(当時二八才)が玄関ドアを足蹴にしてその鍵を損壊し同玄関から屋内に押し入って来たため、自己の生命・身体を防衛するためとっさに同人に対する殺意を生じ、その防衛に必要な程度を超え、いきなり所携の刃渡り約三八・五センチメートルの脇差しで、同人の腹部を突き刺したうえ、その前額部を切りつけ、よって、同人に対し腹部刺創、頭部割創の傷害を負わせ同日午前四時四〇分ころ、同市通町八番九号所在の岡川病院において、同人を右傷害に基づく左肺せん通等による失血により死亡させて殺害したものである。

(右事実に関する証拠の標目)《省略》

(累犯前科)

被告人は、昭和五七年三月八日熊本地方裁判所八代支部で脅迫、暴行の各罪により懲役四月に処せられ、同年一〇月一〇日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の原判示所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項に、当審判示所為は刑法一九九条にそれぞれ該当するが、当審判示の罪について有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により右各罪の刑について(但し、当審判示の罪の刑については同法一四条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い当審判示の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一五〇日を右の刑に算入し、押収してある脇差し一本は、当審判示の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人がUに対し覚せい剤結晶約〇・四グラムを代金五〇〇〇円で譲り渡したほか、深夜自宅玄関ドアを足蹴にしてその鍵を損壊し同玄関から屋内に侵入した被害者Vに対し、自己の生命・身体を防衛するためとっさに殺意を生じ、その防衛に必要な程度を超え、いきなり所携の脇差しで同人の腹部を突き刺したうえ、その前額部を切りつけて殺害したという事案であるが、覚せい剤の譲り渡しに関しては、とくに覚せい剤の人体に及ぼす保健衛生上の危害その他の社会的害悪は計り知れない点に照らしその罪責はたやすく看過できないものであるし、本件殺人に関しては、被害者に深夜自宅に押しかけられるに至ったのは被告人の同人に対するそれ以前の挑発的言動が原因であるうえ、被告人自ら脇差しを持ち出しての犯行であり、その結果も重大であることその他被告人の年齢、経歴、境遇及び前科等を併せ考えると、被告人の刑責は重いといわなければならないが、他面、被告人の本件殺人行為は被害者の執拗かつ粗暴な攻撃に対する防衛行為として敢行されたものであることや被告人が本件を反省し、今後の更生を誓っていることなど被告人に有利な事情も存するのでこれらも総合勘案のうえ主文のとおり量刑する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 淺野芳朗 裁判官 吉武克洋 大原英雄)

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